年度末までのことと、鴨シー

4月も下旬に入っているけど、とりあえず年度末のことまで

3月上旬まで成績のことについて問い合わせや再試験など。
後期の単位が進級に切実に関わる(うちの場合は英語の単位修得が進級の条件に入っている)ということもあって、その数は前期に比べてずいぶん増える。しかも結局個別対応になるので、かなり煩雑。とくにリスニングなどは(こちらの技術的な制約もあって)音声かけてそのまま監督、というわけにいかなかったので結構大変だった。


とはいえ、レギュラーの授業がないのが救いなので、その合間に論文の準備など。去年の夏休みに所属学会で発表して以来ほったらかし(お世辞にも“寝かせておいた”とはいえない)の内容だったので、テキストを読み直して、引用をチェック。今回はそれを英語に直すことにしたのだが、いざ書き始めてみると、全然英語のフレーズが出てこないのでショックを受ける。しかも予定している投稿先が、比較的多めの語数制限(これには後から気付いたのだけれど)なので、いくら書いても埋まらずに苦労する。
何とか最後まで書いて、英語のチェックのために信州時代の同僚のイギリス人にメールで送る。事前に「春休み中ならチェックしてあげるよ」と了承してくれてたはいたが、ほとんど休みも終わりかけだったものの、図々しくお願いすると丁寧なチェックが半日で戻ってきて驚くとともに感謝。


以前サッカーについての出張授業をお願いされた体育の先生から、そのことをまとめた論文が採用されることになった、との知らせ。自分ではほとんど何もしてなかったのに思いがけず教育関連の業績ができて、かえって恐縮する。これが共同研究というものか。任期付き採用の身としては、今後の更新のためにも業績が必要なので、大変にありがたい。何がどこにつながるか分からないものだ。


その合間には合気道部の春合宿に1泊2日で顔を出したりなど。業務といえば業務なのだけど、稽古に参加できる顧問としては、稽古して、ご飯食べて、稽古して、という健康的な日課で、かえってリフレッシュできた気もする。


それから妻の誕生日。下の子の授乳のため、今でも夜中に2〜3時間おきに起きてて「寝ても疲れがとれない」という彼女のために枕を贈る。30代に入って子供が生まれてからは互いの欲しいものが「疲労回復」とか「健康」をキーワードにしたものになっていることに気づき、まぁ年相応に関係が練れているのかな、と思うことにする。

このままだと雑多なことに追われて春休みが終わり、家族サービスが何もできなさそうだったので、思い切って泊まりがけで鴨川シーワールド(こちらでは略して“鴨シー”)に出かける。宿は僕などが選ぶと「せっかく海のそばなんだから、刺身のおいしい民宿に」などとなって、妻から「下の子が食べられるものがない」とか突っ込まれたので、家族の都合を優先させて、離乳食も出してくれる“鴨川風ドイツ料理”(??)が売りのペンションに泊まる。結果的には子供にも優しい宿で、他にも子連れの客ばかりだったので、こちらも余計な気遣いをせずにすんだ。妻も久しぶりに離乳食+普通の食事の準備に追われる日々から解放されてゆっくりできたみたいでよかった。


海豚と鯱のジャンプ
  


ベルーガシロイルカ)。空気のリングを口から出すだけでなく、目隠ししたまま目標物を探り当てたりと意外と芸達者。


千葉県民ではあるけれど、実はあまり見るチャンスのない海に興奮する乙。ずいぶん人間らしくなったけど、まだまだ動物寄り。


少しは本の話も
Kazuo Ishiguro: Contemporary Critical Perspectives (Continuum Critical Perspectives) 数年前にリバプールで開かれたイシグロについての国際学会を元にしたもの。インタビューが載ってたり、村上春樹の序文が載ってたりとお得な一冊。

NHKブックス別巻 思想地図 vol.4 特集・想像力 悲しいかな思想系の本を読んで、「理解できた」なんて思ったことはないけれど、今回も「父親であること」についての東と宮台の対談が載ってて、優秀な人はどこからでも哲学を引き出せるのだな、と関心。子供の面倒見ながら、「うちの子供は垂直的な関係に関心がある」とか自分などはまず思いつかないもんな。

西原理恵子の人生画力対決 1 (コミックス単行本) 吉田戦車ゴルゴ13にやられる

それはそれとして

前のエントリーで書いたようなこともありながらも、勤め先の学生の学力の実情というものがあって、ごねる学生は退けつつも

、ここ数日は境界線上にいる学生にはこちらから連絡して補習や再テストを行う日々でもある。
いわゆる救済措置は前職でも若干名に対して行っていたことではあるけれど、境界“線”とはいえないほど予想外に幅が広くな

ってしまって、こちらの手間が倍増してしまっている。それにJABEEがらみで追加課題の答案保存も通達されているのが煩雑、評

価の方法なども含めて授業のやり方を見直す必要がありそうだ。

春はまだ遠し

それでもレギュラーの講義が終わると少しは気が楽になるので、気になっていた本などをいくつか読み始める。
ようやく1Q84も手をつける。Book3も発売日が決まったことだし。



そんなこんなで疲れて帰宅すると、上の子(4歳)が久しぶりにレゴを引っ張り出して遊んでいる。
息子「ロボット作ったよ」
  「どれどれ」




・・・結構うまいじゃないか(間違いなくパパよりも)、と予想外の成長に驚く。



もやしもん(8) (イブニングKC) ホムンクルス 11 (ビッグコミックス)1Q84 BOOK 1

後期終了

入試と重なった日の振り替えもようやく終わり、後期の授業日程がようやく終了。これから本格的に成績処理。その一方、一部のクラスでは成績が出ているので、学生の対応などを淡々とこなす日々。
「あ、君は残念ながら単位出せないから来年頑張ってね」という事実を、簡潔に伝えて、しかも「何とかなりませんか」ととりつくシマを与えない態度もそれなりに身についてきた気がする。そこでの粘りを授業期間中に見せて欲しかった、というのは毎回思うこと。何とかさせられなかった責任も感じるが・・・。
週一回の授業という形態では限度があるので、課題を毎日メールで配信するか?それも学生にはうっとうしいか。受信拒否されたら、こちらの心が痛みそうだ。


最近は自分の授業に加えて、非常勤が担当している授業についての問い合わせも受けるようになる。
学生本人だけでなく、学生の担任をしている教員からの連絡が多いのも驚いた。学校によっていろいろ違うのだな。

節分

Y-mim2010-02-03

今年は下の娘が何でも拾って口に入れるようになっているので、小袋に入った豆菓子を投げるということに変更。
息子は幼稚園でも豆まきの練習に余念がなかったらしく、思いっきり投げつけられて、シャツやズボンの中にまで入れられる。

自分はというと、「この鬼め、鬼め、鬼ョメ、鬼ヨメ」とつぶやきながら豆を投げて反撃をくらうのはいつものこと。

遅れてきた韓流ブームなど

新潟に住む、信州時代の同僚が東京に遊びに来るというので、やはり在外研究で信州から東京の大学に来ているI先生とともに3人で会う。
大学院の同級生だったお二人がよく行ってたという大久保の韓国料理屋「松屋」へ。

実はちゃんと韓国料理店で食事するのは初めて。
とにかく辛いというイメージがあったので、辛いもの食べるとすぐ腹にくるから僕などは避けてたのだけれど、食べてみると意外に好みの味であったことが判明。店の雰囲気も庶民的で、かつ店員さんの対応も早いので、とてもよい気分で料理を楽しめた。


マッコリはヤカンで。



チジミも大皿で。



今回のお気に入り。豚の背骨を使った鍋、カムジャタン
見た目は真っ赤だけど、辛さは適度。
豚骨エキスがたっぷり出てドロドロになったスープをすするのがクセになる。
シメにご飯を入れて焦げ目をつけながら作る、香ばしいチャーハンのようなおじやがまたうまい。

遅れてきた韓流ブーム。


以下は備忘録
Iさんの話で、文学など芸術には「共感の芸術」と「驚嘆の芸術」があるんだなと改めて思った、という話を興味深く聞く。後者は人を驚かせて居心地悪くさせることに作品の価値があるという意味で(だと思う)。
その例としてある映画の最後で、悲惨な目にあってきた主人公がその状況の中で発する“希望”という言葉をあげる。明らかに一般的な意味での希望とはかけ離れた状況なのだけれど、たしかにそこでそう言うしかないと見るものに思わせる、奇妙な必然性に至らせる構成力が物語の持つ力なんだな、ということを言ってたように思う。


年末をアメリカ、ニュー・メキシコにある先住民居住区で過ごしてきたという元同僚のお土産話を楽しく聞く。
それから、黒人による非暴力的抵抗について研究を進める彼からベンヤミンデリダなど「暴力」「抵抗」などに関する本をいくつか紹介される。
暴力批判論 他十篇 (岩波文庫―ベンヤミンの仕事)法の力 (叢書・ウニベルシタス)デリダとの対話―脱構築入門 (叢書・ウニベルシタス)暴力の哲学 (シリーズ・道徳の系譜)怒りの方法 (岩波新書)
恥ずかしながら読んだことないものや、以前に読みはしたけど理解できなかったものなど。
こちらは遅れて、というより手遅れなのだけれど、また小さな砂の城を作ってみようかという何度目かの無謀な試み。


Iさんの話を受けて、「こういった本を読んでたら、これを“暴力”や“抵抗”と呼ぶか、というところにいつの間にか連れてこられてる驚きがあるよ」と説明されて、なるほどと思う。そんな彼から、メルヴィルの「バートルビー」を勧められて、奇妙な偶然を感じる。昨年の夏に小さな学会で発表をしたときに、司会をしてくださった先生からも勧められていてそのままになっていたので、こちらも読んでみようかと思う。

とはいえ結局読み始めたのは入門書だったりするわけで。足がかりとしてはとても良い導入になってくれる思うが、ここで満足して山に登らずに引き返すといういつものパターンに陥らないようにしたいものだ・・・。
デリダ―なぜ「脱‐構築」は正義なのか (シリーズ・哲学のエッセンス)

気持ちだけは24時間働く準備はできている(誰も頼んでこないけど)

4月より英語科目の時間割などを担当する教務担当を拝命することとなり、多少仕事が増えそうなので、職場以外のところでも作業ができるようにこれを購入

acer Aspire Timeline AS1410 11.6型ノートPC Windows7搭載 250GB ブルー AS1410-BB22

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まずその小ささと、片手どころか指3本で持てる軽さ(約1.4Kg)に驚く。モバイル初心者なもので。
いわゆるネット専用機種とは違って、パワーポイントなども問題なく動くし、スペックも自分にとっては十分。
念のため追加で2Gのメモリーも購入しておいたが、今のところ必要なし。

キーボードの打ち具合がやや貧相に感じられなくもないが、毎日酷使するわけではないから問題はないと思われる。
この性能でこの値段、コストパフォーマンスはかなり良いのではないだろうか。


そして、こいつを携えてなぜか体育の授業に出張講義。


いまをさかのぼること数ヶ月前、後期が始まったばかりの時のこと。サッカーの授業を担当している体育の先生から相談を受ける。
一つの試みとして、サッカーをテーマにして、いろいろな教科の教員がオムニバス式に講義を行いたいのだけれど、英語でも何かできないだろうか、とのこと。例えば化学ではボールの素材を取り上げたり、物理では蹴られたボールの回転を計算したりするのだそうな。

ええっと、試みとしてはとても面白いと思いますが、まず人選が間違ってますよ、私ルールもよく知らないし、Jリーグが何チームあるのかも分からないですし、テレビ・ゲームをやってもど真ん中を突破しようとしてすぐボール取られちゃうくらいですよ。ということをお伝えするのだが「どんなことでもいいから」と食い下がられる。強く頼まれると断りにくいタチなので、英語というよりもサッカーにからんだ「言葉」の背景に目を向けさせるという趣旨でも大丈夫なら・・・と、お受けする。

とはいえ、しばらくは「どうしたものやら」と頭を抱える。
仕方がないので、イギリスのサッカー協会が作られた頃の話と、愛と戦いのイギリス文化史―1900‐1950年のコラムで読んだFIFAの話と、フーリガンと呼ばれた少年たち―子どもたちの大英帝国 (中公文庫)の話をつなぎ合わせて何とか形にする。できるだけ今のサッカーに触れないように、ある意味腰が引けたものとなる。しかも結局英語の話ですらなくなっているし。

ビデオを編集したり、パワポでスライドを準備したりと、まがりなりにも講義してみて大学教員として良い経験にはなったが、毎週いくつも講義されてる先生は大変だなと実感する。

35歳でのリアル

部屋に生命保険の勧誘が来る。
今の保険も子供が生まれる前のものなので、子供が2人になってそろそろ見直しか、とも思っていたので、少しお話を聞く。
ところが、「ご主人に“万が一”のことがあった場合に・・・」、「もしもの時には・・・」、「いざというときに・・・」などと繰り返されるものだから、万ではなく千回に一回くらいで起こりうるんじゃないか、という気になってきて、暗澹とした気分になる。
本を読んでて「死」が鍵語になってるのを目にすることはあるが、「死を思え」も「自分が死んだ後のことを想像する」というのも、口で言うほど簡単ではないな、と改めて思う。

勧誘員の方がモデルプランを出してくれるが、やはり保険料が・・・。死んだ後の保障は厚いかもしれないが、この保険に入ることで、現世での寿命が縮みそうだ。もしもに備えることで、そのもしもを呼び寄せてしまうこともあるのかな、などと思う。